COVID-19対策の「自粛」の末に、近くにも行けないような
そもそもが「近く」である都内にすら行けない
遠くに行きたい、という欲はある。
しかしながら、電車で1時間もかからないはずの東京へ行くこと自体が、現状COVID-19予防の為に難しい以上はどうしようもないのである。
俺の住む関東近郊の「ファスト風土」的なチェーン店が立ち並ぶような地方都市では、評論系同人誌や専門書、中古カメラなどの「オタク的な」モノも仕入れられなければ、撮っていて面白い被写体もない。ましてや中判フィルムを即日現像してくれるような現像ラボなんてものは当然ない。
こんな状況なので、自宅とその周囲をぐるぐるしながら「何もできない」というフラストレーションだけが非常に高まるのである。
地縁について
そんな時に、ふと地元の人間同士のつながりである地縁について考えたくなったのである。
地縁に関して言うならば、地方で生活を送ることにおいては欠かせない……のであるが、現状のところ地縁の構築に悉く失敗した以上は、それこそ地方で「文明的な生活」を送る手段はほどんど手札がないような気がするのである。
こういうような未曾有の状況に対して強いのが、昔からの地縁に強固に支えられた「地元に根差して生きている」マイルドヤンキー層なのだろうか?
(少なくとも、こういう層はWeb上には浮上してこないが)
「何もない」中で、どう生活を送る?
ヒトはネット回線とおカネだけあれば生きていけるようなものではないのは承知の上である。
とはいえ、地縁の構築に悉く失敗した以上は、地縁を今更一から構築できる訳でもないので、日々COVID-19関連の日々暗くなるようなニュースを見ては陰鬱となるしかないのである。
少なくとも、俺たちの知らないマイルドヤンキー層の世界ではこういった危機に対して、地縁の力をもって懸命に動いているのだろうか?
(そんな地縁があれば今頃は、現状以上に仕事の融通などの面でうまく立ち回っている)
結局のところ
とにかく地縁も何もないような現状では、ひたすら「やっていきましょう」としか言いようがないのである。
感染予防のために、ひたすらにうがいと手洗いをやっていくしか、この陰鬱で気が狂いそうな日々から抜けられる方法はないのである。嗚呼、合掌。