鉄道関連雑記

【散策】12月も終わりを迎えるのに、尾久駅から田端駅まで歩いてみるなど

創造的なことが何も思い浮かばない~近況報告 in 22年12月末
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動画版はこちらから

何故だか尾久駅まで行く

今なお構内に放置されている24系客車を見に行くも空振りに終わる

(Camera:SONY α7Ⅱ Lens:Ai AF Nikkor 80-200mm F2.8ED)

ここ最近、ジャンクのNゲージ車両をKATOのAssyパーツ利用で「近代化」することが多い。
特にジャンクで多数売られている24系寝台車のディテールアップの参考にするべく、尾久駅構内で未だに車籍が残ったまま留置されている24系寝台車を見に行くことに。

しかしながら、今回訪問時には24系寝台車は尾久駅ホームからは「いつから尾久に留置されているのか」という元『出雲』車のオシ24の妻板以外は見えなかった、ということで次回は尾久駅からほど近い梶原踏切エリア((真上に「上中里ふれあい橋」なる歩道橋がある))でリベンジしたいところ。

DE10(東日本車)の最後も近いか?

(Camera:SONY α7Ⅱ Lens:Ai AF Nikkor 80-200mm F2.8ED)

ぐんま車両センターへと名称変更になってからは初めて見るDE10 1704(群)がアイドリング中だった。
牽引するものといっても、客車も一部の保存車以外は消え、チキ5200などレール運搬車は2021年に廃車。ホキ800も後継車が登場して風前の灯火という現状ではいつ消えてもおかしくない状況である。

尾久から田端まで歩く

そんなこんなで田端駅まで歩く

(Camera:SONY ZV-1)

ついでなので、久しぶりに尾久から田端駅まで歩くことに。
尾久駅地下通路の周辺案内図にまでレインボー色のEF81 95が描かれているあたりに「鉄道の街」田端・尾久エリアの土地柄を感じながら田端駅まで歩く。

(Camera:SONY ZV-1)

かつて冷房改造済のEF65PF(後期型)やEF81、EF510-500など多数の機関車が所属を問わず留置されていた旧田端運転所の構内。そこにいたはずの機関車の姿は既になく、代わりにチキ5200((モデルアイコンのチキ5200、買うべきだろうか?))の後継ともいうべき真新しいキヤE195系がずらりと並んでいた。

そんなこんなで歩いているうちに田端駅に到着。
その後は御徒町駅まで京浜東北線に乗り、御徒町のマイトリーで近年の「特殊な人」や民間ARには欠かせないFMA製のSTD AR用アンチローテーションリンクをS&T Mk.18用に購入して帰ったのであった。

暁

なお、この直前にガンモールでS&T Kar98K Anotherも勢いで買う寸前までいっていた模様

で、何で散歩の様子をわざわざ動画にしたのよ?

尾久エリア訪問数日前、Youtubeでたまたま大阪エリアドヤ街紹介chの日雇礼子chあたりを見て、ふと「ZV-1を片手に都内へ行ったときの散歩の様子をVlogにしたらどうだろうか」という思いがむくむくと湧いた、というだけの話。

暁

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注釈

この記事を書いた人
akatukidesuga

泡沫カメラ同人サークル「ジャンク難あり500円の会」主筆。

1990年生まれのアラサーちゃん、という第二次氷河期世代のあおりをモロに受けた世代でそれを引きずりながら生きている。

2020年11月より仙台市に在住(2022年秋まで)していたが、現在はチバラギに戻って求職活動中。
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