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ダークレス現像の思い出を振り返る

ダークレス現像の思い出を振り返る
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ダークレス現像を振り返る

ダークレスはよかったなぁ……

富士フィルムから以前出ていたダークレス現像タンクは非常にいい商品だった。
35mmフィルムをパトローネに入れたまま、WW2モノ戦争映画の衛生兵が使いそうなアンプルに入った現像液と定着液を専用の道具で割ってから小型のタンクの中に入れ、ダイヤルをぐるぐると回すだけでフィルムの現像が完了する……という理科の実験キットのような仕組みであるが、これが非常に面白かった。
ダークレス現像の推奨フィルムであったネオパンSSと同時に生産停止になって8年以上経過した今でも、ヤフオク!やメルカリではダークレス現像の薬剤が現像・定着の1回セットあたり1,000円で流通するくらいには支持されているところを考えると、支持される理由は見えるのである。

こんな需要も?

ダークレスは初心者向けだけではなく、新聞や写真週刊誌などの報道需要でも「社に戻るタクシーの中でもすぐに現像できる」ということで使われていた商品という事もあり、それらの大口需要のデジタル化と共に消えゆく運命だったことを考えればダークレス現像で遊べただけまだ幸せだったのだろうか?
(最近、この手の商品としてLab-Boxも出てきているのだが、便利だがむちゃくちゃ高い一液現像液を使用する事が前提で且つ、フィルムの巻き込みが大変なので手を出せずにいる)

ダークレス現像で現像した写真を振り返る

ダークレス現像のネガを見る。

2012年あたりにフィルム趣味に入ったと同時に、ダークレス現像で色々と試したときのネガが見つかったので、いろいろなものを懐かしみながら見る。

(Canon NewCanonet QL17L Film:Fuji NEOPAN PRESTO400)

E233系L-01編成とE233系京浜東北線の並び。
現在では京浜東北線側にホームドアが設置されているので、撮ることができない光景である。

(Canon NewCanonet QL17L Film:Fuji NEOPAN PRESTO400)

今は新しいラジオ会館がある辺りにあったガルパンの宣伝看板。
実物大のあんこうチームのⅣ号戦車D型と並んで写真を撮ることができる……のであるが、当時のガルパンは一部のマニアにすらキワモノ扱いされていたが、まさかここまで大きなコンテンツになるとは。
(ところで、いつになったら大洗女子の物語は完結するんですかね)

(Canon NewCanonet QL17L Film:Fuji NEOPAN PRESTO400)

土浦駐屯地の一般公開の際に展示されていた八九式中戦車。
この頃からすでにエンジンの部品がなくなっていたのかは知らないが、静態保存になっていた。

(Camera:Konica C35 Flashmatic Film:Fuji NEOPAN SS)

就活で訪れたJR関内駅前。
横浜ベイスターズ本拠地の最寄り駅という事を盛んにPRしていたが、この頃はまだTBS傘下の時代だったんだろうか?

(Camera:Konica C35 Flashmatic Film:Fuji NEOPAN SS)

関内の横浜市営球場。
横浜ベイスターズがDeNAに買収された後は、ここも賑やかになっているのだろうか?

(Camera:Konica C35 Flashmatic Film:Fuji NEOPAN SS)

桜木町かどっかのエリアで撮影した気がする写真。
カラーで撮ったのならばいい感じだったのだろうが、モノクロだと何か締まらないイマイチな写真になってしまっている感じがする。最も、今でも「モノクロで映える」写真が撮れるかはわからないのだが。
(ついでに言うと、ドライウェルを使った割に水洗がうまくいっていない感じがする)

もしかすれば?

以前、現像液の生産停止で使い物にならなくなったダークレス現像タンクに富士のミクロファインを溶かしたものを入れてプレスト400を現像したことがある(定着液はダイソーのパイポを溶かしたもの)のだが、その時は現像のムラこそあったが、それなりに現像できた記憶がある。
その経験があるので、出たばかりで未だに試していないアクロスⅡをダークレス現像できないかという事を企んでいる……が、こればかりはBlogではなく、将来を考えて弊サークルの『JC Plus』のネタにしたいところ。
(ダークレスの説明書の『36枚撮りは熟練すればできます』は本当かを確かめたいところ)

この記事を書いた人
akatukidesuga

泡沫カメラ同人サークル「ジャンク難あり500円の会」主筆。

1990年生まれのアラサーちゃん、という第二次氷河期世代のあおりをモロに受けた世代でそれを引きずりながら生きている。

2020年11月より仙台市に在住(2022年秋まで)していたが、現在はチバラギに戻って求職活動中。
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