今回は、茨城県筑西市にあるザ・ヒロサワシティ ユメノバに展示されている保存車を。
なお、ボリュームが多いので分割記事で送ることにする。
(2024年5月訪問)
ザ・ヒロサワシティ ユメノバの保存車両
ザ・ヒロサワシティ ユメノバの中にあるレールパークには多数の保存車が保存されている。
今回はEF81 138と『北斗星』向け24系25型(元尾久車両センター所属車)を紹介する。
EF81
EF81 138
『北斗星』のヘッドマーク付きで展示されている、赤2号塗装のEF81 138。
1979年に「新潟地区のEF15置き換え」名目で日立製作所で製造された機体で、JR化後は青森車両センターに配置されて主に『あけぼの』などの寝台列車を牽引した機体。
2015年に寝台特急の定期運用廃止によって余剰廃車となった後、24系25型共々ヒロサワシティに展示の為に移送され、今に至る。
EF81 138の区名札には『広』という札が刺さっているが、何も同機が現役時代に広島に配属されていたわけではなくザ・ヒロサワシティの親会社である広沢グループの意味なので知らない人は面食らうであろう。
EF81 138の整流器などの内部機器は移送時の重量問題等から撤去され、ドンガラ状態になっている。
その代わり、機器スペースは寝台列車等のヘッドマークの展示場所となっている。
24系25型『北斗星』車両
オロハネ24 551
『北斗星』向けの個室A・B寝台車。
なお、2015年に臨時化された『北斗星』の最終運行で使われた車両がそのままの状態でヒロサワシティに展示されているので「末期ブルトレ」の雰囲気を味わえる。
スシ24 505
国鉄末期に余剰となったサシ481から24系に編入改造された車両。
車内の厨房機器も運用終了後のままの姿で保存されており、レジがあったであろう場所には全国の交通系ICが使える事をPRするSuicaペンギンのステッカーも貼られたまま展示されている。
ちなみに埼玉県川口市には同じく『北斗星』で最後まで運用されていたスシ24がパン屋として「現役で活用されている」そうで、是非とも行ってみたいところである。
オハ25 503
『北斗星』向けのロビーカー。
公式サイトの車両紹介によると、2008年の『北斗星』1往復化後は主にハンドル訓練で運用されていたが、末期の臨時列車化の際に再び連結されるようになったそうで。
『北斗星』をよく見ていた時期(EF81末期からEF510-500牽引の時代)に同車をあまり見なかった理由は、そもそも「連結されていなかった」からという理由は知らなかった…。
24系ロビーカーの室内。
訪問時には休憩室として使えるように後付けのクーラーが動いており、5月初旬だというのに夏のような猛暑の中で確実に気持ちいいものであった。
にしても、ロビーカーの窓から見る朝の北海道の車窓はいい感じだったんだろうか…?
オハネフ25 12
24系25型の緩急車として製造され、『北斗星』運用に際して耐寒対応の為に引き戸化された。
何故か貫通扉部分にステップが後付けで設置されており「いつ使うのだろうか」という感想を抱いた。
ユメノバに展示されている24系全車共通で、室内にも入ることが可能でかつての2段寝台の様子を見ることが可能。
また、車内の説明書き曰く24系25型車内での宿泊も可能である(公式Webサイトには当該記述はまだない)が、車内に掲示されたラミネート加工されたチラシに利用条件は「10名以上のご利用があれば」と書かれており「団体でもない限りは無理そうだなぁ…」と思った次第である。
それはそうとして、今や何をするにも「個別のAC100V電源とWi-Fiが必須」という中で、1970年代設計でプライバシーが皆無、電源なんて想定していない24系25型のような従来型ブルートレイン車両が生き残る余地は2010年代初頭には(普通の乗客視点では)なくなっていたのだろうか、と悲しい気持ちになってしまった。
悲しいが、新幹線とチェーン系ビジネスホテルで前泊したほうが安いだろうしなぁ…
少なくとも、1970年代に流行したSLホテルがブームが過ぎたら一部を除いて潰れた理由も、今回の24系25型保存車の訪問で「なんとなくわかった」気がした、というか。
(次回に続く)