今更ながらnoteもはじめてみる
Blogもやっているのに、noteとは一体
今更ながら、noteをはじめてみることにした。
noteはこちらから
何故、Blogもやっているのに今更noteを開始したのか。
というのも、TwitterがこのCOVID-19の混乱で大変なことになっているからである。
TLの構築に失敗した訳でもないのに
Twitterには疲れていないが、人間に疲れた
何も別にTwitterのTLの構築に失敗したわけでもないのに、ここ数ヶ月のTLがCOVID-19ショック関連で「異常にささくれて」仕方ないが、かといってこのBlogの記事にするまでもないような1,000文字以下のよくわからない文章のはけ口は必要である。
また、Twitterを10年以上続けてくると「必要以上に」人間関係が固定されてきてしまい、だんだんと「Twitterには疲れていないが、それを取り巻く人間に疲れた」というよく分からない状況になるのである。
そんな時にふと思いついて
そんな土曜日の深夜1時、中途覚醒の中でラジオ深夜便の桂枝雀の落語を流し聞いていると、ふと「Twitterを取り巻く人間関係に疲れたなら、いっそ文章のはけ口としてnoteを始めよう」と考えたのである。
精神安定剤が入った状態での中途覚醒のまどろみの中では、当然ながら正常な判断はできないので、その日の夕方にnoteのアカウントを開設した。
決断してからのスピードが異常に早いADHDしぐさだ……。
BlogはBlog、noteはnote
両方の使い分けを考えよう
なんだかんだで、人生の1/3以上もの期間にわたってBlogを続けている。
よく世間においては「3ヶ月でBlogは飽きる」という話があるが、そんな中でも10ウン年以上もBlogを続けている。
当然ながら、Blogに関しては30歳になってからもずっと運営したい、と思っている。
元々吃音気味で人よりもうまくしゃべれない代わりからか、文章で物事を伝えることのほうが本心をさらけ出すことができる(ASD的な特性もあるが)からこそ、Blogはずっと続けたい部分がある。
だがしかし、Blogとは別に「終わり」が見えつつあるTwitterに代わる「新しい流れ」にも是非とも乗っていきたいのでnoteも始めるのも、長い目で見てみると意義があったりする……かもしれない。
いつかは一ヶ月の通院代をnoteで賄いたい……。
ひとまず、noteに関してはBlogとの差別化のために「140字以上気兼ねなく書けるTwitter」のような方向性でしばらく行きたいと思う……が、どうだろうか?