今回は千葉県流山市にある流山総合運動公園のD51 14と流山鉄道キハ31を。
(2025年7月後半 訪問)
流山市総合運動公園の保存車両
D51 14(「真の」D51初号機)

2020年にクラウドファンディングによって、まるで現役機のような再整備を受けたD51 14。
京都鉄道博物館に展示されているD51のトップナンバー、D51 1よりもわずかに早い1936年2月に汽車会社にて製造。その後は北海道に渡って各地で運用、末期は宗谷本線で運用されて1973年に廃車となった機体。
現在は、2021年に結成された保存会「D51 14・キハ31 保存会」の手によって綺麗に維持されている。

以前訪問時にはスノープロウが敷地内にそのまま放置されていたが、クラウドファンディングによる整備後はD51 14の前面に取り付けられており、後年追加のシールドビームに切り詰めデフも相まって「改装を重ねて好ましい形態となった北海道仕様のカマ」を感じさせる仕様となっている。

D51 14の蒸気溜めドーム部を見ると、現場での整備性向上のためなのかドーム部の一部が開いた状態になっていた。
D51初期型の流線型のようなドームは、見てくれは優雅でも酷寒地での整備性(特に冬季には)という点においては難があったのだろうか?

D51 14のキャブ部をふと見ると、後年に三河島事故(1963年)を契機に安全の為にATSと共に取り付けられた信号炎管がついているのが「最後まで現役で運用されていたカマ」感がしてなかなか興味深い。
ちなみに、この信号炎管は主に株式会社カーリット(旧日本カーリット、2024年より事業持株会社化の上で現体制に)が作っているようで、製造後4年・装着後2年間は有効とのこと。

流山鉄道 キハ31

同じくクラウドファンディングで整備された、流山鉄道(現:流鉄)キハ31。
1933年に汽車製造東京支店で製造された荷台付きのガソリンカーであったが、流山鉄道の電化後はラッシュ時用の付随車として荷台を撤去(そのスペースを延長して客室にした)のうえで電車に牽引されて運行され、1960年に廃車となった後に倉庫として使われたものが保存、現在に至る。
現在は現役末期の姿で保存展示されているが、戦前製ガソリンカーの保存車は関東でも珍しい。

当初こそガソリンカーとして製造されたが、戦時中は燃料難で蒸機に、戦後は電車に牽引されて運用されていた期間のほうが長いので、車体の下部はエンジンなどの付属物が「何も」残っていないのである。

キハ31の車内は保存会の整備時の詰所として使われているのか、整備用具やイベント向けに使う鉄道雑誌や看板などが置かれているが、イベント時(保存会 公式Twitter等で告知予定)にはD51 14ともども開放されるようである。
アクセス
TX流山セントラルパーク駅から徒歩10分
TX流山セントラルパークから運動公園の敷地経由で展示エリアまでは徒歩10分ほどであるが、2025年7月現在は敷地内は大規模改修工事中ということもあり野球場経由で迂回しながら展示エリアまで行くのがベスト。
流山名物、流山の街を作った産業としてのみりんを。

