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陸前山王駅でSD55 103に遭遇~仙台臨海鉄道を記録する

陸前山王駅でSD55 103に遭遇~仙台臨海鉄道を記録する
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SD55 103の引退はもうすぐ

DE15 1538、改めDE65 1が竣工したようで

JR東日本から譲渡された後、半年以上にわたって仙台港にある仙台臨海鉄道の機関区でDE10化工事を受けていた元長岡車両センター所属のDE15 1538。

DE65 1の改装中の様子はこちらのエントリでどうぞ

10月より、仙台臨海鉄道での機体番号が新たにDE65 1となったうえで運用を開始した……のであるが、真っ先に追われそうなのが今や 仙台臨海鉄道唯一の自社発注機となったSD55 103である。
元国鉄DD13のSD55 105が21年1月にDE65 5に置き換えられて引退し、同じくDD13タイプのSD55 103も機関区に休車扱いとなっているのだろうな、と考えていた。

運よく「平日の」陸前山王へ行く

用事の終わりに陸前山王駅へ

10月後半のある日、東北本線((仙台の人は、東北本線のことを単に「本線」と呼ぶことのほうが多い))の沿線に用事があった。
その帰り「用事ついでに仙石東北ライン経由で松島にでも行こう」と思っていたのであるが、何故か行きそうで行かないとこへ行こう((大槻ケンヂのエッセイ的な感じで))、の精神で思い立って陸前山王で降りることに。

駅前の一角にある「やる気のない」町おこしカフェで300円の甘酒を啜って時間を潰した後、このまま1キロ程度しか離れていない国府多賀城駅方面まで歩いていくか? と思ったのであるが、多賀城址には先月行ったばかり、ということで何もかも面倒くさくなって仙台方面へと戻ることに。

えっ、SD55 103が「生きている」とは

陸前山王駅の仙台方面ホームにてひたすらに列車を待つ。
平日昼間の東北本線は旅客よりも通過する貨物列車のほうが多く、まさに「大動脈」といったところである。そんなことを陸前山王駅の留置線越しに考えていると、廃車前提の455系・717系が大量に留置されていた時期を思い出してしまった。

(Camara:SONY α7Ⅱ Lens:Canon EF24-105mm F4L IS USM)

そうこうしているうちに、陸前山王駅構内にSD55 103がエンジン音を響かせてやってきた。
……と同時に、盛岡・青森方面からやってきたEH500牽引の空荷のタキが陸前山王の引き込み線に入線した。

この時、仙台臨海鉄道はDE10系統の機体に完全に置き換えられたと思っていただけに

暁

何で引退予定のSD55 103が運用についているんだ?

とファインダーを覗きながら妙な気持ちになった。

(Camara:SONY α7Ⅱ Lens:Canon EF24-105mm F4L IS USM)

EH500牽引の空荷タキの先頭にSD55 103が連結。その後でEH500は切り離される。
タキの空気管の空気音とSD55 103のエンジン音が響く中、機体に記された「34-11 仙台臨海鉄道」という検査表記の文字を見て

暁

平成34年11月に検査切れ……あれっ、西暦で換算すると何年だ?

と撮影中に元号と西暦が頭の中でグチャグチャしていた((先の改元の関係で検査表記がJR関係は西暦になったのに慣れると……))内に、あっという間にSD55 103牽引のタキは仙台港方面へと向かっていったのであった。嗚呼、合掌。

その後の話

機材軽量化、図るべきでは?

少なくとも、今回は用事のついでに陸前山王駅で撮影したのであるが、いかんせん「首は疲れるわ、背中がとにかく痛いわ」ということに尽きる。

そんな訳でM4/3かAPS-Cを主軸にした撮影機材の軽量化を図りたくなった。
10年近く前の新卒時のような異様なまでの体力・精神力((5大都市圏のうち札幌・福岡以外で就活した、割には……))が「だいたい」消え失せたことを考えると、体力に合わせた機材選びはこれから重要になってくるのでは、と感じる次第である。

注釈

この記事を書いた人
akatukidesuga

泡沫カメラ同人サークル「ジャンク難あり500円の会」主筆。

1990年生まれのアラサーちゃん、という第二次氷河期世代のあおりをモロに受けた世代でそれを引きずりながら生きている。

2020年11月より仙台市に在住(2022年秋まで)していたが、現在はチバラギに戻って求職活動中。
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